相撲とは・・・

相撲は、迫力とスピード感あふれる近代的なスポーツであると同時に、長い歴史と伝統を持った日本の国民的文化です。土俵に上がってから立合い、攻防を終えて土俵を下りるまで、定められた礼法を遵守し、まわし以外の用具を身に付けず、正々堂々と戦うことを理念としています。狭い土俵の中で、相手を投げたり土俵の外へ出したりするなど勝負の判定が極めて明快で、しかも短時間で勝負が決するため、一見単純に見えますが、常に「心技体」の修錬が要求される奥の深い競技です。

相撲とは・・・

相撲の歴史

日本においては、伝存する最古の正史と言われる歴史書、『日本書紀』の中に、当麻蹴速と野見宿禰が天皇の前で相撲を取ったとの記述が見られる。当時は戦うことを「すまい」と呼び、これが「すもう」の語源になったと考えられています。

奈良時代から平安時代にかけては、五穀豊穣などを願う大切な宮中行事として「相撲節会」が行われていました。この「相撲節会」には各地から集められた力士が参加しており、この「相撲節会」を経験した力士が地方に戻り、相撲のやり方やルールを伝え、奉納や神事として盛んに行われるようになりました。

その後、相撲は武家社会にも引き継がれ、戦いの訓練として行われ、織田信長も大規模な相撲大会を開催したといわれています。江戸時代には、神社や橋などの建設・修理の費用を集めるための「勧進相撲」が盛んに行われ、現在の土俵やルール、礼法、所作がほぼ整備されました。

明治時代になると学校の課外活動として行われ、学生大会が開催されるようになりました。昭和21年には、アマチュア相撲を統括する日本相撲連盟が創設され、現在では84カ国が国際相撲連盟(平成4年創設)に登録し、女子も含め世界規模の大会が開催されています。

本県では、昭和22年に長野県相撲連盟が組織され、その前年の第1回国民体育会より相撲競技に参加し ています。

相撲の歴史

競技の基本ルール

競技場 土俵(一辺600㎝以上727㎝以下の正方形、高さ30㎝から50㎝)、勝負俵(直径455㎝の外側に埋めた小俵、境界線は勝負俵の外線)、仕切線 間隔70㎝、長さ80㎝、幅6㎝

審判 審判長、主審及び副審4名 計6名

競技者規則 「立合い」は、選手双方が同時に両手を土俵に付き静止した後、主審の「ハッケヨイ」の「掛声」によって立ち合う。

勝負判定 (1)相手選手を先に勝負俵の外に出した場合 (2)相手選手の足の裏以外の一部を先に土俵につけた場合 「かばい手」「送り足」は、負けとならない。審判規程補則として、小学校又は中学校の競技会において、危険を防止するために「禁じ技」「危険な組手」が設けられています。

【文責】 長野県相撲連盟